日々の悩みが修行ととらえて
仏教では、この世の中の苦しみや悲しみを日々、修行という風にとらえております。
忍辱(読:にんにく)といいます。ちなみに食べもののニンニクとのつながりの言葉ではないです。
意味としては、苦しみに対しても動じる事なく、受け止めて進む事でございます。
またこれかよ、という方もいるかと思いますが
私の職場は本当にひどい事になっております。
「教えない、無視する、目で見て覚えろ、情報共有無し、人を見て言動を発する(いわゆる気に入った人なら話すけど、そうでない人は無視する)」まさにパワーハラスメントのオンパレードの障害者雇用でございます。ウソではなくて、本当に冗談抜きでございます。
時々、私もおかしくなります。というよりも一番被害受けているのが私でございます。
支援機関というアドバイザーにも相談しておりますが、
「とにかく打つ手がない。環境そのものが悪すぎる。カウンセリングにはのれる」
という事で6月もまた機関に行き相談します。
実の所、支援機関も深刻な状態の方から優先して、対応をしていく形となります。
もしかしたら別の所もあるかと思いますが、病院でいう所の症状を重篤な方から見ていく形となります。
私の場合、それでも行けている状態の為、まだ深刻でない(それでもアドバイザーは深刻とは容認)
所です。
そうなると、自分自身の心の持ちようです。
そう、この苦しみを意味を用いて、忍辱とする。すなわち、苦しみを人を助ける術や訓練と化す場と
そう認めて行動する事が大事であると考えております。
どこまで持つかはわからないです。下手したら明日で終わり。でもそれをいえば人生そのものが、当てはまります。
でもこうやってインターネットではありますが、皆さまにも自分にも、何かの助けとなれる言葉をつねに
出せたらと日々思います。
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