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2022年3月31日 (木)

東北新幹線、復旧作業の感謝と思い出

3月16日に発生した地震で、現在もなお東北新幹線。
今もなお、JR東日本の方がたは、夜を問わずに復旧に向けて
全力を尽くしている事に、心から御礼と感謝を申し上げます。

私もかつて2004年の新潟県中越地震の時、上越新幹線が不通となり、東京と新潟の行き来が出来なくなった時
は、本当につらかったです。早く治ればなとついいってしまいました。

ですが、親族から「一生懸命になって、職員さんも直しているんだから、愚痴はいわず。それにまた地震が起きた時に備えて、キチンと補強もしているわよ。それに鉄道は安全第一よ。それをキチンと守っている。」とあっただけに、その通りと本当に思いました。親族はもともとは交通関連の仕事を親御さんがやっていただけに、それをよく知っておりました。

現在も運転見合わせの区間があると聞き、私もぜひぜひ復旧をしてほしいと心から強く願っております。

それに東北は私自身が失業して、周囲から罵声を浴びた時に、心の傷をいやせた場所があります。
気仙沼市での復興ボランティアです。東北新幹線からは気仙沼までは行くことはできないので、もよりの一ノ関駅という所まで
いきます。そこからバスで行ったのを覚えております。あのときはカキの養殖場のお手伝いをしました。

色々とお聞きもしました。現地の方のお話しも。
でもショックは隠し切れないとありました。ですが、それでも「復興信じて、毎日を過ごしている。今は前を向いて出来ることを日々している」というお話しに、私もそうしなければと思いました。なので、掃除や養殖場のアミの手入れも一生懸命に作業を行いました。

ボランティアに戻って次の日、不思議とハロワークにいって求人情報を探しました。
このところ出来てなかったので、ある意味では自分を復興させる為にいこうと決心していました。
その時に職業訓練も一つにしてみてはどうか、という職員から話があった事もあり、「そうだ。建物と同じ。基礎がしっかりする事が大事だ。もう一回、勉強しなおして、社会性や障害者雇用ではじめて行く場だから理解を示さないと=当時は一般企業ばかりで働いていた事あって現状しらず」もあり、その時は訓練を受けてから、試験を受ける事に決めました。

なので東北にいっていなければ、どうなっていたか。今でも自分の事をどう感じているかもあります。

だからまた東北新幹線が復旧したらいきたいです。そして気仙沼にもいきたいと心から思っております。





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