【優しいお言葉6】マイナスがプラスになる
以前にもご紹介しましたが、改めまして。
この言葉は、私の高校時代のミッション系(キリスト教系)の学校の聖書授業担当の先生がおっしゃっておりました。
(何度も申しますが、私の家はキリスト教信者ではないです。ですが当時は教育方針が大変きにいっていた事も両親、私もありまして
入学致しました)
聖書の授業というのがありました。
イエスキリストの誕生をつづった旧約聖書、クリスマスの意味(救い主がお生まれになった)
イエスたちの弟子、聖書の教えから私達が何が出来るのか、時には暗唱というのがありまして
「主の祈り」
というのもありました。
なかなか難儀なものでした。
平たくいいますと、日本国憲法の条文を暗唱する様なものでもありました。
さて話を戻します。この言葉を話した時は、
確か、聖書の中でイエスキリストの弟子のペテロが悪いことをして改心をした時のお話しでした。
当時、イエスのすばらしさの教えや癒しの技(治るはずのない皮膚病を直した=今でいうハンセン病)
を伝えていた事に、恨みをもっていた人たちもいました。その中に対して「おまえはイエスの弟子か、あんな奴についてくるとは何事だ」
といわれた時、ペテロは「私は違います。イエスという人間はしらない」といいました。
でもイエスは、「私を裏切るものがいた」ということをすでに前もって予言もしておりました。
弟子たちの前で伝えました
そしてペテロは大泣きしました。見抜かれていたことを。
でも涙によって、ペテロは「私はあなたを裏切りました。どうかこの様な人間であります。でも許してもらえるなら、どうかお願いします。イエス様と。」と悔い改めました。
イエスは許しました。許しの愛もありましたが、何よりもイエス自身は告白して下さったことが嬉しかったです。
その中でも罪を認めて、懺悔をして、悔い改める心は、生まれ変わったことを表すものです。
悪いことは確かにわるい。でも、それが益となり、神様に対しての大きな喜びとなりました。
マイナスがプラスになった事でもあります。
一方で残念なことに弟子の中には、イエスの事をお金に目がくらんで「イエスを渡すなら金貨を渡してやろう。これでお前の生活も楽になる」と売春にかけたユダという弟子もおりました。
結果は、とんでもないことに、何も悪いことをしていないイエスは、無実の罪を着せられて、十字架刑で処刑をされました。
その弟子は悔い改めをしませんでした。
私達人間は、生きていれば何かしらの過ちは必ず犯します。
喧嘩だったり、考えの違いだったりして、それで衝突することだってあります。
今、残念なことにコロナウイルスでの職を失った人を利用して「受け子」という犯罪もあります。
いわゆる振り込め詐欺の手助けをして、お金を得る人たちです。インターネットでも残念なことに募集をしており、
犯罪と分かっても、生きるためという意味で未だに後悔の念を持たずにしている方がいます。
私もTwitterを見てまして、残念ながらそういった記事がありました。
まるでユダの様な生き方です。でもそれが本当によいことなのでしょうか。
どうか、今からでも遅くありません。罪を悔い改め、そして罪の為に改めた行動をして、世の中をそして悪を改心させること
それがプラスに代わる事になります。
罪があるとき、どうか悔い改める心を。そしてプラスへと変えられた時、自分も他人も、世界も良い方向へ向かいます。
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