【優しいお言葉3】必ず帰れるんだよ
この言葉は、歴史上の人物の言葉です。白衣の天使こと、看護師の元祖と呼ばれる
「ナイチンゲール」の言葉です。現代の病院にあるナースコール(当時はベル)や壁に白をほどこしたり、
掃除や洗濯などの衛生管理の徹底を重視したのも実はナイチンゲールです。
まさに看護師の礎を作られた方です。
ナイチンゲールの生い立ち、そしてこの言葉の由来についてお伝えします。
1820年の生まれ。お金持ちの家で育ち、ヨーロッパをはじめ旅先で色々な国をめぐる中で
貧富の差も見てきました。贅沢のできる家もありつつもその一方で病気で苦しんでいる中、誰にもみとれられず
に苦しむ姿がありました。そこで人々を救いたいという想いで看護師を志します。
ただ当時の看護師は、献身に尽くすという職業ではないです。
言葉が悪いですが患者が苦しんでも酒を飲み昼寝をする、まさに仕事放棄をするという事も
ありました。今でいう売春婦です。
当然ながらナイチンゲールの家族も「そんな職業につくな。やめろ」と猛反対。
でもそれをおしきってまでなりました。
そして数々の病院の改善策や看護師としてのあり方を唱え、看護師としての在り方も正しい方向へと変わりました。
1854年にクリミア戦争(現代のクリミア共和国 最寄り国がロシア)で看護団長として派遣されます。
イギリスやフランスとロシアでの戦争です。そこで銃撃された負傷兵、病院内は血の匂いと
ハエやうじ虫が出るという非衛生的な環境というとても病院とは思えない状態でした。
そこでも掃除や洗濯の徹底を回りの仲間たちに徹底させたり
イギリス陸軍の団長に病院内の状況改善の為の手紙を出したり、
負傷した兵士たちに昼夜問わずに看病をしてかけていきました。
深い傷を背負った兵士や異国での慣れない生活にこうつぶやきました。
「私は、死んでしまうのか。」
「国へ帰れるのか」
「痛い、助けてくれ」
「もうどうしたら、、、」
戦争で受けた体や心の傷で絶望という中に侵された兵士達にこういいました。
「必ず、帰れるんだよ」
その言葉に兵士達も勇気づけられました。
やがて戦争が終結され終わりました。
しかし昼夜とわず働いていたナイチンゲールは原因不明の病で、37歳の若さで
体が動かなくなる病になります。現代医学では慢性疲労症候群という体中の疲労がたまり、休んでも回復しない病だったといわれております。
そして残りの人生をベットで過ごします。しかしそこでも看護師を養成する為の学校の設立準備や貧しい方々を救う為の手紙や記事を通してのボランティア活動をしました。体は動かなくても看護に対する情熱と救いの為に尽くし、91歳に天に召されました。
その時、戦争でかつて命を救われた兵士達に学校設立の寄付金もありました。
そう、彼女のことを兵士達は、感謝をわすれていませんでした。
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今、「コロナウイルス」という病でいつになったら、元の生活に戻るのか
こんな状態が本当にあるのか、まるで目に見えない戦争がある状態です。
そしてかかった人に迫害や差別もある事も知りました。
悪いことをしているわけでもないのに、なぜなのか。
かかった方々の心の傷は相当深いものです。
私だって正直、いつ故郷の新潟に帰れるのか分からないです。下手に移動すれば、自分が
感染源になる可能性もあります。誰でも帰りたくても、帰れない現状あると思います。
でもそんなとき、ナイチンゲールの言葉思い出します。
「必ず帰れるんだよ」