去年の今頃は最悪の状況、でも今はマシに
私、去年の今頃ですが、最悪の状況でした。
仕事場で新しい場に移り、そしていよいよ新しく気分も変わり一層よくなって
安心して働けるそう期待を胸に抱いておりました。障害者雇用です。
なので、より今度こそはのびのびと働けると思いました。(前いた部署ではネットいじめ、パワハラ、そして
私自身ついに堪忍袋の緒が切れて、退職届2回も出すという状態でした。)
去年はいつもこんな感じでした。
「やってやる。気合を入れてかからんと、命無くすな。でもよ。無くしてたまるか!」
もう仕事が戦場という状態でした。楽しいという言葉はなく、本当の地獄でした。
ちなみに職場は背広必須の場でもあります。
いわゆるかみ合わなかった状態が続いておりました。それでも上司や部長は問題無し。
という判定でした。
さてところがです。
いっても同じでした。罵声は飛ぶ、できなきゃ相手にされない、さらには
もうやるなと言われる始末。まあ、「お荷物で使い物にならん」という劇悪な判定でした。
それでもなぜやれたかといいますと、
・体を動かす仕事だった為、余計な事は考えられない。(前は100%PCでの作業)
・相談に乗ってくれる新しい部長がいてくれた(しょっちゅう相談にのりました。)
・宅配業者様であるヤマト運輸様に激励をしていただいた(それもあって仕事が出来、今では個人で荷物を頼む時はヤマト運輸さんと決めてます。)
この3つです。
人間って励ましや相談に乗ってくれる人がいると本当に心強いです。
それが一つでもかけていたら、たぶん私はプータロかもしくはよくても日雇い、あるいはそれこそ障害年金を
あてにした生活をしていたと思います。
今はマシになりました。
部長とひそかに、運搬や電話の訓練をしたりしました。
出来ない所はメモに書いて、相談をしたり、時にはヤマト運輸様にも「今日はこれが出来る様になったんですよ」
と話したりしました。ヤマト運輸様は褒めても下さり、大変嬉しかったです。
それが積み重なり、今では残業を任せられ、そして1人体制でも十分な実力があると認められる様になりました。
だから去年の4月までは不安定な時期から脱却し、そして去年の12月31日には「社会人はじまって一番最高の年だった」と
述べました。
だから去年の今ぐらいを思い出すと、「よくここまで成長して、そして大きくなれた。だからもっと大きくなろう。そして自分と同じ境遇にいる人間がいたら助けてあげたい。」そう強く思える様になりました。
« オンライン化の世の中でも、 | トップページ | ブログを続ける理由(1、交流が出来る) »
コメント