第7回:うつ病になっての生活(第二大爆発、異動命令、今は?)
2019年1月から別々の組織へと別れました。
そして私は監視つきという条件で面談を2か月に1回は
必須で受けるという形になりました。監視つきというだけに、まるで法でいう執行猶予みたいなものかなと思いました。
組織が変わって落ち着いたのでしょうか、
身体障害の女性も少しは変わりました。とはいえども何かやらかせば、頭から雷や口から炎は出ます。
実はこの間に私が入社した間に4人も退職したことあるからです。多分です。これ以上出したくなかったと思います。
なんだかこの部署は、ブラックだなと冗談抜きで思いました。
その後部下が3人出来ました。
全て精神障害です。ですが、これもまた
難癖がありました。なんでなんでと原因を探るかた
に「仕事がないので助けてください」と上司でも
無い私に声がかかったり、さらには休職を突然する事に
なるなど、また仕事に負担がかかりました。
女上司もそれにあたったのか、また態度が厳しくなりました。
またチャットでダメ出し受けました。私自身がついに小言までつく様になりました。
主にです「つーかあんたさ手が不自由なら言葉でしゃべろや。このドブス野郎が。」と言いたくなりました。
口がもともと悪い私ですが、この時は本当に口がめちゃくそ、悪くなりました。
一番悪い時かなと思いましたね。今でも何かされると、結構悪いことをいいます。
主に「このクソ野郎が。ドブス野郎が、ケツがちいせんだよ」とかいいます。
それに話が出来ないのはおまえの態度が悪いだろと。
舌打ちを職場でもする様になり、
またリストカットの再燃(別名:ヤキイレ、ブッサシ)です。今度は深々ときり、
血まででてきました。でもここで休むと、給与が減るし、周囲からバカにもされるのでもう、
ばんそうこうを張ったり時には、「すんません。寝不足気味で、ハサミもってて誤ってきりました」
と笑いながらごまかしました。でもこの地点から周囲はなんか怪しいと思ったらしいです。
そしてまたです。薬飲みすぎた事も
あってもうイライラが止められず、ある時にまた大爆発しました。第二回目のです。
別名:第二爆発です。この時は頓服薬という気の苦しさや胸のドキドキを抑える発作を抑える薬を5状飲みました。
それは備品がなくなった時、私だけでなくみんなで管理するはずの備品が
なくなって事で、なんでなくなったといわれたときに
こういいました。大声で、それに鬼の様な顔です。
「なんで、あなたは私ばかりに責任をおしつけるんですか。
そんなに私が気に入らないんですか。もう、いい加減にしてくださいよ。
もう私もやってられないですよ。」
これもまたすごかったです。怒鳴り口調が本当に、ヤクザ、不良の親玉の様な声だったと周囲の方はいってました。
当然ながら人事もきていきなり面談です。ついにいいました。
その後また周囲に謝りました。もう孤立です。
でも部下は不思議とついてきてくれました。もしかしたらです。
哀れみをもったのか、あるいは上司に不満があったのか
は分からずですが、救われました。
その後です。ある日、女上司が不思議と優しい声で
話をしました。「ちょっとおいで」と。でも私は警戒を緩めませんでした。例えるなら近づくなら、つねに威嚇する猫の様な感じでした。
その時「仕事の話じゃないから緊張しなくて大丈夫。緊張しなくていい。体調どうなの」と。
その時の私はもう興奮気味でもありました。でもあまりにもやさしい声だったので、警戒を緩めました。そしてこういいました。
「実は、かなり悪いです。」
そう答えました。実際に事実でした。
「どうして、具合悪いの」
理由をきかれたので事実をそのまま述べました。
「実は夏になってから、当然真夜中に起きて、嘔吐を3回もしました。食べすぎもしてないし、気分が悪くもなく薬を飲みすぎたわけでもないのにです。おかしいと思って内科の医師に診てもらったら自律神経失調症を患っていたと分かりました。酸欠状態が続いていて、体内に酸素が入っていない状態です。なので今、医師の指示で酸素を取り入れるために、通院して吸引機で酸素マスクを当てる治療をしてます。」
そういったら、「実はね、他チームからあなたの顔つきも
つねにおかしいし、周囲から当然怒ったり、机を蹴ったりしている事を見られていてて、
他の人からあなたへのケアは出来ているのって話があったの。相談してないのって言われたの。でも、これは私の責任だからあなたは何も悪くない。部署変えたいっていう事もね、それにかかわっていたの。
だから結論からいいます。もうここを卒業して、別の道へいきなさい」
そうです。ついに異動となりました。
前から望んでいた事がついに実現。ついにです。
でも長すぎました。本当は後から聞いたら、
すぐに移動させるという話もありましたが、
人事異動中に組織変更で整うまで待ってほしいと
上司から話があったそうです。それですぐにできずでした。
その間も私は1日も休まずに仕事してました。
それが不幸か幸かあったと分かりました。ちょうど次々と人も退職という状況だっただけに後任者が見つからないというのもありました。
そして2019年11月に機密文章の部門を卒業。
12月からヘルプデスクというOffice内のサポート業務をすることになりました。
主な仕事は4つ。
・社内便、外部便の各部署への運搬、発送手続き
・外部からのお客様への備品貸出しや電話応対
・Office内の清掃業務、備品補充と確認
・他会社から依頼されている専用ソフトでの名刺の入力確認作業と結果報告
もちろんこの部署でも障害お持ちの方はいました。
発達障害で一定の事はできますが、メールで状況報告をしたり
名刺業務が出来ないといった事がありました。皆さんさらには
時短勤務という条件だったのでフルタイムで出来て、残業できるのが
私だけでした。
ここでも色々洗礼受けました。
ちょっとでも仕事できんと
「ちげえだろ、もういい。私があとやる。そこで見てろ」
「ちんたら動くな」
「もういいです。あとは私がやります」
◇これらを含め、作り話でなく全部本当にあった話です。今までの述べてきたことも事実です。
当然ながら心もやみます。でもです。
今度の指導する上司は男性です。さらには
「すまないな。俺の指導力不足もある。
ただ、障害の特性もあるからそこは了承してほしい。
だから困った事があったらいつでも相談しろ」
「この運搬業務は、正確に届けないとダメだ。はやくやれとみんなはいうけど、決して焦るな。
終わったら、後から全部説明もかねてやるから、私についてこい。すべて場所を教える。そうだ。今度リスト作って、こっそりとメールしてやる。これで一目で分かる。出来ない事を悔やまず、まずは時間かけてもいい。何言われても正確にやれればいいから、最後までやってみろ。周りには私からいっておく。」
とご年配の方でしたが現場経験のある方
だけに悩みに乗ってくれたり、親身に教えてくれました。
時には「おいおい、そこでひるまずにしっかりと聞くんだ。落ち着けばできる。」
となかなかな言葉もありましたが、それもまた
ある意味では頑張るための力を与えてくれました。
やがては私のとったメモは手帳3冊分になりました。半年で3冊なのでよほど毎日、一時一句の言葉書いていたなと思いました。
PCがなかなか使える業務でなくて立ち仕事や動く仕事が
7割も占めてました。でもです。
これがストレスやイライラを鎮める為のよい運動になりました。そして心の薬にもなってます。
やがては外部業者様からも「だんだんできてますよ。それに、成長が見えてますよ」
とか関連会社の方から顔覚えて頂き「おう、やるな。
あんた、顔つきが成長してるのわかるよ。ええ男になったな」と。
やがてそれが原動力となり、仕事をもっと覚えて
ライバルに差つけてやると思い、少しずつ仕事を
覚えました。そして2020年4月。コロナウイルス感染の政府から出た緊急事態宣言。
その時にいったん、在宅勤務となりました。しかし私にとっては、逆にこれは良いチャンスだと速攻で切り替えました。
「よっしゃ、ワイが一番になったるわ。ここで実力を見せつけるときや。そや、ワイの考えた戦術でいく。まずはできる事からやる。大技してたらスタミナなくなるからな。そしてできる様になって気力が充実してきたら、ガンガンと攻めたる。そして最後は竜虎乱舞で一発逆転や」
(ちなみに竜虎乱舞は、株式会社:SNKが1992年にリリースした格闘ゲーム:龍虎の拳というゲームの技です。一発逆転技です。スポーツでいえば逆転ホームランでございます。私このゲーム好きで、ツイッターでよく紹介している高田馬場ゲームセンターミカドでよくプレイしてます。よくYOUTUBEでのインターネットでも配信実況プレイ見ております。私もいつかは大会参加して、ぜひぜひ大会の大舞台で竜虎乱舞を決めてみたいです。ちなみにまだ大会は出た事ないですが、常連さんや上級者の方と対戦はしました。皆さんとてもとても強いです。)
ではお話しを戻します。
会社から出た課題を5日間で終わらせました。最短です。
ただ会社側も予想に反して早すぎる終わり方とありました。次出すのはないけどという話もあったので、
そこでです。私から自ら提案しました。
「資格取得の勉強をするので、それを課題の続きとして認めてもらえないか。どんなことをしたのかは自分で決めて、成果物は必ず携帯メールでご連絡をする」ということで承認。在宅勤務がいつの間にか修行という場になりました。当然ながら結果のご報告は毎日しました。
そして6月に宣言解除と同時に隔週での勤務がスタートしました。
宣言通り、冗談抜きで6月に資格取りました。さらには体重も6キロも痩せて、健康体の体に。仕事のリズムもつね日ごろと思い、朝は
4時に起きて散歩。夜は9時に寝るという生活を繰り返しました。
そして今では上司不在の際には、ヘルプデスクを
守るという重大任務まで任される様になりました。
クレームも来ます。でも過去のITの仕事や介護での
機転が多いに役立ってます。
そして思います。この12年間で、色々とあったけど、決して何事も無駄ではなかった。
そしてできる事なら準社員として、今度は
契約満了やリストラでなく、キチンとした
形で働きたい。障害者雇用でもそれが出来るという
事をしたいとつねに目標に覚えて仕事をしてます。
事実、準社員になれますか(契約社員5年間勤めると、労働基準法では無期雇用へ)と人事に確認したらできる事も判明しました。
まだまだ大変で愚痴もはいてしまう状態でもあります。
そして必ずしもどこまでやれるかというのは分からないです。でもです。
ここまでやれていて周囲から
褒められるということは今までの人生はなかったので今はうれしいです。
出来れば長く働けたら、繰り返しになりますが準社員を目指したいです。
これを更新しているときにNHKのラジオ番組「NHKジャーナル」という番組の特集で経済活動での業績悪化というニュースを耳にしました。
ただ私がもしも経済活動に例えると、今年は非常に良好でもあります。増益です!それも12年間、社会人になってから一番過去最高の増益です。
なぜなら、体調も良くて何かがあっても精神的に回復できる手段がつねにある状態+お褒めのことばがもらえる。さらには残業するのでその分の収益も出る。大変なのは事実です。でもキチンと報われているのが事実です。したがって、良好な年でもあります。
最後までご観覧頂きありがとうございました。
一旦はこのうつ病での生活話は、終了とします。
ちなみにこのブログはまだまだまだまだ、続きます。前に10年続けたいとありましたが、それを目標にしてます。
無料という制限ありながらも続けておりますので、まさしくじり貧なブログです。でも楽しみながらやっておりますよ。
ということで最後までご観覧、改めましてありがとうございました。
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