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« 第2回:うつ病になってからの生活(夜勤を経験) | トップページ | 第4回:うつ病になってから(介護職。しかしリストラ) »

2020年10月28日 (水)

第3回:うつ病になってからの生活(ITさよなら、介護職目指す)

さて3回までの予定でしたが、追加して第7回までにします。

語ると長くなることが分かりました。

さて、介護職を目指すためにまずは、「ホームヘルパー2級」の資格を取らなければと思いました。同時に求人だけでなく介護職のイベントも探したいと思いまして、最寄りの社会福祉協議会にもいきました。ちなみにハローワークには一切行かなかったです。

なぜそんな行動がとれたかといいますと、私はもともとは大学時代のころは福祉関連の学科でした。しかし、当時は友達付き合いがまったくできず具体的には会話が出来ないし、過去にゲームソフトやいじめにあったことで人と付き合うことも怖さばかり身に染みてしまい、避けてました。一時期、本当に引きこもりになってしまいました。そうすれば、何もされずにすむということを身にしみてわかったからです。

それも学問に影響してか、多くの福祉学科で必要な単位を落し、ついには卒業も出来ないということになりました。
そこで当時は、ITについて資格を取りたいと思い、そこで資格取得に成功したことでIT関連に入りたいと思い、福祉は完全に諦めました。

しかしです。今度は福祉関連でよくある夜勤も経験した。
ITを通してうだれ強くはなった。今度は人付き合いも出来たからできる。
そう自信をもってつねに情報や過去の自分の経験を話してヘルパー2級をとれる所を目指しました。

そうしているうちに2011年になりました。そして7月についに現場退職し、ついにIT業界と卒業しました。

そして2011年8月から東京都町田市にある福祉専門学校に通信制としてヘルパー2級をとりました。
でもそこでも問題が。

身体介護(実技)が全然できずでした。
しまいには実技中に相手方に大けがまで負わせてしまいました。
その実習が服の着衣。それも右半身まひという想定で行いました。でもうまくいかずついに力をいれてしまった結果。相手方は首を大きくいためました。首のねんざですが、その人から「おまえ、老人だったら一発で骨おれてるぞ。どうするんだ」

そういわれて、とても悔しかったです。そうです。なれるまでに時間がかかった。それも何倍もです。
それでもやり続けました。でもその間も、やっぱり「介護に俺は向いていないな」と心では思いましたが「やってみよう、これが俺にとっては唯一の生活する手段だ」と言い聞かせて、できないながらもできる様に努力しました。

そしてヘルパーの為に実習もしました。そこでもできずの事連続でした。挨拶は出来ても、着衣はやっぱり出来ず、食事介助も一歩間違えていたら命に係わる事態に(具体的には、飲み込めたことを確認せずにご利用者様に食事を入れた)、そして目まぐるしい現実を介護を通してみました。ケアが足りない。。。でもです。

結局こんな自分にでもできるのか、そう思った時に実習のカリキュラムを終えた後、ある夜勤担当の職員さんからこうお話しいただきました。

「見ていたよ。一生懸命になってやっていたのを。笑顔がよかった。仕事なんてね。できなくてもいい。笑顔になれることが一番なんだよ。できるよ。おまえさんは。」

それを聞いて自信が身に付きました。その後はヘルパー2級を取れました。嬉しかった。これで就職もできる。
そしてハロワークにいき応募しました。そこで職務経歴書というのをかきかたを初めてしりました。
そこは何とか職員さんと自分の経験を照らし合わせてかきました。そして履歴書もパソコンで作成してみたらという
ことで、それで作成することも身に着けました。ただです。このときはすでにくるのが遅すぎた状態でした。本来ならヘルパー2級を
取りながら情報収集し、その地点から就職活動してもよかったのです。いわば、戦略でいえば読みがあまりにも遅すぎました。
業務でいえば対応遅れです。

そしてです。世の中甘くないです。行く先々で不採用ばかりです、どうしてケアが足りない現場なのになんでよ。
さらには家族からも知人からも、世間からも「職はいつになったらきまる、どうして決まらない、おまえの努力不足」

と何度も言われ、心も体も壊れてしまいました。ついには、夜昼逆転生活です。

実の所、介護業界が人手不足は事実。しかしです。本当にできるのかといわれると、そこで採用する側も考えます。
特に初めての人ほど、なかなかうけいれにくいです。すぐやめてしまうのも事実の職業だけにです。
それに他者の命に係わる業務です。施設側が事故を起こしたときは責任が取れるかどうかもかかりますし、福祉も、あまり言い方よくないですが、サービス業でもあります。これは私の入社した施設でもそういわれました。

なので10社近く介護業界受けて、不採用という方も珍しくない事もハロワークの方からお聞きもしました。
なので、後から介護業界入って分かったのですが、あえてコネを利用して(いわゆるボランティアと称して、その間に現場経験ありにして下さり、事実としては現場経験あり。でも実際には本当にできてました。)で入った方もいました。

これでは就職活動も出来ずでした。正月に新潟に戻るときもとてもしんどく、本当は戻りたくなかった。でも戻らざるおえない状況でした。
年超しをしても、年を越していない雰囲気でした。2012年であけましておめでとうのはずですが、、まだ私の中では職が決まるまではずっと2011年でした。
体感でそうずっと感じました。

本当に地獄でした。そこでです。

戦略として、かつてIT時代に営業担当がしていた押しかけ営業というのがありました。
それをまねて、ある福祉施設に押しかけて、見学、そのあとに採用試験を受けたいと申し出をした所、面接OK。ちょうどハローワークに求人だだそうとしたタイミングだったとの事でした。

その後、2012年1月にデイサービス部門で働くことになりました。
知人や家族に一斉メールで採用決まったということをメールし、喜びの言葉を頂いたこと嬉しかったです。
あの時は8通くらい送りました。当時はまだSNSのLINEがそこまで普及してなかったし、まだやり方すらわかりませんでしたのでメールです。

でもでも、またもそこで問題とあるとは、、、おもいもしませんでした。

続きは4回目で述べます。

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