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倹約と闘志と理系学問を追及する。(けんやく様のブログ)

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2019年10月29日 (火)

新潟中越地震から15年。同時に私の引きこもりを治せた年

こんばんは。
twitterやこのホームページのプロフィールで
紹介しております通り、私の生まれは新潟県です。

実は15年前に起きた「新潟県中越地震」も体験しております。
あの時の私は19歳でした。
ちょうど大学の学園祭に遊びにいってました。
理由は、実の所、引きこもりがちでした。

一昨日のブログで載せた件と重なります。

昨年にもご紹介したかと思いますが、
私、全然と人ともつきあえませんでした。

-------

◆学校にはいけてましたが対人関係のトラブルを嫌い、自分から声をかけず、結果はほとんど
友人はいませんでした。いても1人くらいでした。
トラブルを避ける為、携帯の番号、メールアドレスも教えないものでした。
完全に学校卒業すれば、引きこもりになってました。それ位深刻な状況でした。
アルバイトも出来ず、運転免許も取れずでした。自信がなかったです。

当然ながら両親も激怒し、何とか怒られない手段として
たまたま学園祭にいってました。

-------

さて前置きが長くなりましたが、
駅から家に帰ろうとした時に
立っていられないほどの横揺れがありました。
身体も支えられず、ともかく壁につかまってました。

その後、駅から電車も本日は不通となり、
帰れず、その後は親しい知人がJR新潟駅まで送ってくれたおかげで
自宅に帰れました。

テレビやラジオから流れる報道で
大きな被害が出ていた事を知りました。
東京まで行く交通手段である上越新幹線、関越自動車道が亀裂や
設備故障で不通に。震源地となった中越(小千谷)
では土砂区連れで集落が孤立したりと聞きました。

その後、約3週間後に炊き出しのボランティアに行きました。
出た理由も両親から、引きこもりとレッテル貼られたくない為という
理由、そして家にいるよりは誰かの役にたった方がよいと思っていました。

その時、不器用な手で作った味噌汁を皆さんに配った時の
「ありがとう」という言葉に少しは、自分も人さまに役立てたんだな、
外へ出るって良いものだなと感じる様になりました。
そこからボランティアを通して、人と付き合える様になりました。

イラストで表すとこんな感じです。

Photo_20191029074101

 

その後も、環境保全(森林保護体験の活動)のボランティア
に参加し、そこで他の大学の方と話をし始めました。
ちょっとした事ではありますが、
これが私が引きこもりから抜け出せたきっかけです。

今では月に1回農業ボランティアや掃除ボランティア(自分からやり始めた事)
もやる様になりました。

でもです。

2004年で内面は少し変わったといえども
本格的に社会に出るにはまだほと通りレベルでした。
その後どうしたか、それはまたどこかでご紹介します。

2019年10月27日 (日)

ボランティアは適度休憩が大事

台風19号でボランティアを募集をしている事をNHKラジオを通して知りました。
同時、私にとってもボランティアに初参加した時のことを思い出します。
そして教訓を得た事もあります。

----

2004年。
実は新潟県の三条市という所で大規模な豪雨が起き、新潟と群馬を結ぶ
信濃川が氾濫しました。「新潟豪雨(7.13水害)」とも言います。
その時に土砂かき出しのボランティアに参加しました。
学生ボランティアとして参加をしました。

この時私は体力が無いにも関わらず無茶をして、
一生懸命に自宅に入り込んだヘドロ状になった土をひたすらかきだしました。
さらには40度を超す炎天下。そして土台の所もやりました。それでも体力が続いたのは、
「一生懸命にやりたい。このヘドロは俺にとっての試練だ、とってやる」とお仲間の倍働いたのを
覚えております。◆なぜか一生懸命になれたのはなぜだったのかは
これは次回お伝えします。◆

作業終了後の私のはまるでドロ人間。顔も衣服も全て泥だらけでした。
ボランティアセンターの方から「感染症の恐れもある為洗い流してください」とあり、
キャンピングカーのシャワー室で身体を洗い流しました。

あとから反省しました。確かにやれた。でも加減を一つ間違えていたら、
ありがとうございます。逆に倒れて迷惑をかけていたかもしれないと。
それ以来、ボランティアをやる時はこまめに休憩をとる様にしております。
皆さんでやるもので以上、しっかりと状況を見極めねば、そう思いました。

2019年10月20日 (日)

スイカを食べてます

「夏で食べ納めかと思ってたけど、
またスイカが食えてうれしいわ」といいながら
スイカを食べております。

ツイッターでも更新しましたが
昨日、農業ボランティアに参加をしてきました。
大雨の中でしたが、農家さんがビニ-ルハウス
を所有しておりまして、昨日は中の片づけを
しました。雑草や農機具、大きくなったイチジクの木
の切り株がありました。

それをお仲間の方と一緒に取りました。
久々の良い汗をかけました。そして
無心になり、ただ作業をする事で心も
身体も安定することが出来ました。

作業終了後にビニールハウスに
スイカが育っておりました。
「おお~スイカだ、出来たら食べたいな」
と心の中から強く思いつつも、農家さんの
所有物、なのであきらめかけておりました。
(我ながら、食い意地はっているなと思いました)

ですが、作業終了後に
「スイカ、持ってっていいですよ、ついでに切ったんで召し上がってください」
とお話しがありました。

2019101915365501

私、飛びつく様な勢いで
「いただだきます、いただきます、ありがたく
頂戴致します」と声をあげました。それ位嬉しかったです。

写真が作業後に頂きましたスイカです。
そしてツイッターにあげた写真は現在食べているスイカです。

食べてみたらこれが美味い。
味は夏ほどの甘味はないものの、
それでも甘さはありました。そして
完全の無農薬。健康にもよく、
美味さもあります。

今はしあわせの味を味わっております。

2019年10月10日 (木)

ポテトチップスの思い出

ポテトチップスは私の大好物の1つです。
今日は、朝飯でデザートとして食べております。

昔はうす塩が一般的でしたが
今ではコンソメやチキン味と色々とありました。

さて表題の通りで思い出があります。
それはご褒美です。
当時、プロ野球やサッカーのついた
付録つきのポテトチップスがありました。
小学生の時の遠足のおやつでは必ず私は
購入しておりました。

不思議な事にカード集めを通して
スポーツに興味を持ち、同時にポテトチップス
を一日中食べられたらという
子供心をいだく程好きでした。
そして食べる時は必ず、喜んで食べておりました。
「あ、こんなに美味しいお菓子を生んでくれた人
を僕は嬉しい。食べるほど、もっと食べたくなる。
大人になったらお腹いっぱいにポテトチップスを食べたい」

今では実現は出来る様になりました。
でも栄養価的には、炭水化物が多いのが
難なので、食べる時は量を加減しながら
食べております。食べると当時の事を
思い出します。

2019年10月 9日 (水)

マイナスがプラスになる

こんばんは。
この時期に思い出すのが、苦い思い出があります。

6年前です。
今まで勤めていた老人介護職でリストラ(解雇)を
受けた事です。まさか需要の多い職業でもリストラ受けるとは
思いもしなかったのでとてもショックでした。

本当はもっとご年配の方と沢山ふれあいたかったし、
厳格な方からも習う事はありました。
でも考えたら、命を預けるお仕事でもあっただけに
事故やトラブルはあってはならないものです。
色々とやらかしました。

でも後々考えたら、それはそれでよかったと思いました。

Pppp

・1つ目は自分の健康が守られた事にもあります。

なぜならあの時は身体も心もやられていた状態でもありました。
朝はおきれない、腰痛はひどい、休日の過ごし方も寝るだけという
まあ、健全ではなかったです。それもありました。
考えたら向く、向かないってやっぱりあるなと思いました。

---

・2つ目は無くなった祖父の介護が出来た事です。
私の祖父は2016年11月に亡くなりました。亡くなる3か月前は
自力で立つことも出来ませんでした。そこで私が暇さえあれば
泊まり込みで、滞在。おむつ交換や歩行介助、接する時は目線を
合わせて大きな声で話す。全て介護職で養った事がそのまま出来ました。
最後に祖父から「ありがとう、いい孫だ」と言われた時は今でも
忘れないです。最後の最後まで一緒にいられた時、介護をやってて
良かったと強く思いました。

---

アラサーの私がいうのもなんですし、
まだまだご年配の方から見れば若造です。
でも、思います。必ずマイナスがプラスになる事が
来る。私はこの介護職を通して思いました。

実は、今でも役立っていたりもします。
1年前には駅構内で見知らぬ酔っ払いの方を介助し、
駅員さんの所まで連れて行ったのを思い出します。
以外と介護は役立ちます。

2019年10月 8日 (火)

高速バスで帰省や旅行

こんばんは。
私の生まれは新潟県。現在は神奈川県に
住んでおります。

実は今までは上越新幹線で帰省しておりましたが
最近は格安でかつ、もう少し珍しい景色や
出来たら土産物もゆっくりとみられる場所、

出来たらな、安く帰れたらな

というそんな欲がありました。

そこでインターネットを使って検索
しましたら(こういった時、大変便利です!)
ありました。高速バスです。

東京から帰省が出来ます。
池袋駅東口→新潟駅
バスタ新宿→新潟駅

と候補が出ました。
他にも横浜駅や東京駅もありましたが
こちらは距離が離れているので、
池袋が便利でした。
しかも料金が安い時だと3000円で帰省。
これは便利。

という事で今年はこれで帰省することに
してみました。楽しみですわ。
おそらくは年末年始か、早くても11月くらいかなと
思います。

ちなみに東京から新潟は
おおよそ300キロ離れております。

 

Photo_20191008000201

 

どこで知ったかといいますと関越自動車道の
練馬ICから乗車する時の標識にありました。
よく農業ボランティアの時、この高速道路を
通ります。遠いです。

一昔は高速道路も新幹線もなかった頃は
そうとう時間がかかってましたが、
今では半日あれば行ける様になった距離。
これもまたありがたやです。

2019年10月 7日 (月)

時代の乗り遅れでも、私は構わない

ふと感じた事を述べます。
昔と今です。考えてみたらここ私が生きてきた
34年で急激に変わったと感じております。
色々とありますが、一番は「デジタル化」です。
今では誰もがインターネットを持てる時代になった事
意見が誰でも言える時代になった事です。

一昔は、インターネットはパソコンだけでありました。
さらにはインターネットを「パソコン通信」といってもいました。
通信料も深夜でないと高い時代、それに設置するまでも
が非常に難しい時代でした。モデムやら通信会社やらと一苦労。
さらにはどこでも接続できる状態ではなかったです。

でも今はスマートフォンやWi-Fiで
誰でももったらどこでも接続出来て、さらには
通信設備も出来る時代です。まさにユビキタスの社会です。
※ユビキタスはラテン語でいつでも、どこでもという意味です。
よくIT企業では使われている用語です。


私はそれに比べたら乗り遅れの人間です。
未だにスマートフォンはもってないです。
理由はコンピュータウイルスに感染しやすい事、
アプリの仕組みが未だに分からない事とあります。
◆私は過去にPCを3台以上も故障させたり、ウイルス感染も
させたりと色々とやらかしました。結果として父親の仕事のデータを
消したり、修理代でかなりの額が両親にかかったのを
今でも覚えています。それもあって怖さもあります。◆

もちろん、スマートフォンも持っていれば
良い面もたくさんがあります。高速でインターネットに繋がるし
店舗の割引チケット
を発行出来たり、買い物は安くもすみます。
さらには様々なゲームも出来ます。

ただ、私はそれをもっていないからといって生活上で
不安だとか、苦しくなるという状況は無いです。
今はただ現状に満足出来たらそれで良いです。
深入りせずに、あとは気長に生きて行けたらそれで
十分です。それがこのブログの主題である
「のんびり豊かに」でもあります。

 

2019100217275101

お話し変わりまして、
9月中に出会いました黒のノラネコちゃんに
また出会えました。私の事を覚えていたらしく、
近づいたら「ニャーん」とお腹まで見せてくれました。
この様にして、自由きままに
生きていけたらと思います。

2019年10月 6日 (日)

じゃがいも収穫

私、6年前から土や花に触れるのが好きになりました。
今では習慣化する位にまでなっております。
1か月に1回は必ずやっております。

1週間前に農家さんのじゃがいもの収穫のお手伝いにいきました。
写真は掘り起こしたじゃがいもです。

2

 

 

今年は暑い日が続いたせいか、雑草が
勢いよく伸びてきており、雑草自体を取り除かないと
じゃがいもを掘る事すら出来ない状態でした。

まずは雑草を取り除き、その後に土を掘り起こして
じゃがいもの収穫をしました。掘ると沢山とじゃがいもが出てきました。
土の中でも雑草に負けずに育っておりました。

良いものです。
作物が時間をかけながらも、育っていく姿を見ていくのは。良いものです。

土を見ていると思うのが、自然の原点であると認識します。
作物も木々も花も土がなければ、まずは育たないです。中には水辺で成長できるものもありますが大半は
土です。

そう思うと、土は食べるものの原点であると
私は感じております。


今日の夕飯もその事を思い浮かべてか
「茹でたじゃがいも」を一品、おかずに入れました。
そして感謝込めていいました。
「いただきます、ごちそうさま」と。

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