新潟中越地震から15年。同時に私の引きこもりを治せた年
こんばんは。
twitterやこのホームページのプロフィールで
紹介しております通り、私の生まれは新潟県です。
実は15年前に起きた「新潟県中越地震」も体験しております。
あの時の私は19歳でした。
ちょうど大学の学園祭に遊びにいってました。
理由は、実の所、引きこもりがちでした。
一昨日のブログで載せた件と重なります。
昨年にもご紹介したかと思いますが、
私、全然と人ともつきあえませんでした。
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◆学校にはいけてましたが対人関係のトラブルを嫌い、自分から声をかけず、結果はほとんど
友人はいませんでした。いても1人くらいでした。
トラブルを避ける為、携帯の番号、メールアドレスも教えないものでした。
完全に学校卒業すれば、引きこもりになってました。それ位深刻な状況でした。
アルバイトも出来ず、運転免許も取れずでした。自信がなかったです。
当然ながら両親も激怒し、何とか怒られない手段として
たまたま学園祭にいってました。
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さて前置きが長くなりましたが、
駅から家に帰ろうとした時に
立っていられないほどの横揺れがありました。
身体も支えられず、ともかく壁につかまってました。
その後、駅から電車も本日は不通となり、
帰れず、その後は親しい知人がJR新潟駅まで送ってくれたおかげで
自宅に帰れました。
テレビやラジオから流れる報道で
大きな被害が出ていた事を知りました。
東京まで行く交通手段である上越新幹線、関越自動車道が亀裂や
設備故障で不通に。震源地となった中越(小千谷)
では土砂区連れで集落が孤立したりと聞きました。
その後、約3週間後に炊き出しのボランティアに行きました。
出た理由も両親から、引きこもりとレッテル貼られたくない為という
理由、そして家にいるよりは誰かの役にたった方がよいと思っていました。
その時、不器用な手で作った味噌汁を皆さんに配った時の
「ありがとう」という言葉に少しは、自分も人さまに役立てたんだな、
外へ出るって良いものだなと感じる様になりました。
そこからボランティアを通して、人と付き合える様になりました。
イラストで表すとこんな感じです。
その後も、環境保全(森林保護体験の活動)のボランティア
に参加し、そこで他の大学の方と話をし始めました。
ちょっとした事ではありますが、
これが私が引きこもりから抜け出せたきっかけです。
今では月に1回農業ボランティアや掃除ボランティア(自分からやり始めた事)
もやる様になりました。
でもです。
2004年で内面は少し変わったといえども
本格的に社会に出るにはまだほと通りレベルでした。
その後どうしたか、それはまたどこかでご紹介します。