遅くなりましたが父の日について語ります。
これで完結です。
イラストもこんな感じです。

本当はもっときらびやかにしたかったのですが
私が10年前からかかっている病の「うつ病・そううつ病」が悪化した事もあって、これが現状で精いっぱいです。
今は、追加された頓服薬(発作を抑える為の薬:私の場合は緊張すると胸の動悸、息切れ)も飲んでいます。もし、お父さん見ていましたらごめんなさい。
でも心から愛してます。
さて、父には感謝と前回では述べてましたが、
その感謝という点を2つスポットをあてて記載します。
これは私が今もなお、キツイ苦しい仕事や生活
が出来る強い力になっております。
・1つ目は「皆勤賞」です。
実は私の父親ですが学校を遅刻、欠席、早退が一度も無いです。
学校では皆勤賞をもらってます。
社会人になってからもよっぽどの事として
主に忌引き=親族が亡くなっての通夜・告別式参加が無い限りは
必ず勤めにいってました。身体が悪くなった時でも、すぐ治す様に心がけてました。
そして水泳やマラソンも週に1回以上必ずやってました。
これが今の私にも受け継がれてまして、
私も高校生の時は「皆勤賞」をもらいました。
高校がミッション系(キリスト教)だっただけに賞状だけでなく
金色の聖書も持っています。これは私にとっての大きな誇りです。
お父さんの背中を見ていてだけあって、嫌な科目や出来事があっても
「何が何でも学校に必ずいく」
という強い信念は持って行きました。
仕事でも同じです。
病気があったら必ず直すつもりで
休み、次の日は万全に行くという気持ちでいってます。
社会人で新卒の時は一回だけは、うつ病の為の治療で
休みましたがそれ以外は休んで休んで無いです。
うつ病は、はっきりいって本当に治すのは困難です。
それでも
「治すのが無理でも、身体を鍛えて、心を強くすれば治っていく」
と思い、私も同じく水泳を週に1回やってベストな身体に近づけて
挑んでます。
・2つ目は、「信念」です。
お父さんは、外国に出張する機会も沢山ありました。
英語だけでなくスペイン語や中国語、アラビア語も勉強してました。勉強する傍ら仕事もしなければならなかったので
相当大変な中でした。
それでも、
「今日はここまで出来たら、良し。次はやろう」
「無理でも、ここの課題は絶対にこなそう」
という信念でやり通し、言語で日常生活に現地にいっても困らない様に会話と仕事をしてました。
それでも現地では、仕事で上手くいかないトラブルが色々とあったと聞きました。
それでも
「あきらめずにやり通す」
事をもって最後の最後まで仕事をしてました。
その上で現地での出来の悪い部下がいてもかばい、けなす事は
してませんでした。お父さんからは、そっと話で聞いた事がありました。
あまり強調としてはいってなかった事もあってそれを聞いて、陰ながらのやさしさもありました。
私の仕事も今、本当にキツイです。
あまり言うと法的にも関わりますが、
職場はパワーハラスメントまがいの言動(勝手にしろ、出来損ないが!)
もあったり、悪意のある発言を平気でしている環境でもあります。
それもあって離職もあります。
去年から今年にかけて9人中2人が辞めて、1人が休職状態です。
でもそういう中でも私は
「僕は負けないよ!何が何でもやってやる。僕は確実に辞めてやるけど部下が困らない様に、少しでも楽出来る様に、けじめもって最後までやる」
という気持ちでいます。
ちなみに私の部下も、今の企業が悩んでいる
スマートフォンばかりを操作していて、パソコンの事(今や欠かせないメールソフトやWord、Excel)はあまり分からずの方です。
本来なら怒りたいなですが、でもお父さんの時の様に
「けなしてはいけない、ご本人も一生懸命やろうとしているんだ。だからやりやすい様に少しづつサポートすべきだ。間違いは頻繁なら強くは言わない形で呼んではいうけど、あんまり危険度が低いものならそっと直そう」
とまるで武士の情けみたいにやってます。
という気持ちでやってます。
長々と書きました。でも同時にお父さんは偉大だなと思いました。
厳格な顔で、言葉も強い口調なので
正直合いづらいです。でもその心は尊敬を致します。
今度はせめて今住んでいる川崎に来た時、僕のおごりでお茶をご馳走。
逆に新潟に戻った時はちょっと難しいけど、顔は合わせはしたいと強く思っております。
出来なくても、メールや電話はしたいです。
改めてお父さんを心から尊敬します。